”憂う”とは?
代表的な憂いとして「未来にくる気の進まない行事(苦難)」への「不安」「恐怖心」があります。
言ってしまいますが、これらは、頭の構造により消えることはありません。たとえば以下のような憂いがあり、人によっては「苦悩」です。
- 明日のテストが不安
- 一週間後の手術が怖い
- 週明けのプレゼンが不安
- あしたの競技会が不安
- 次の発表会が怖い
- 初デートが不安
「憂い」と同時にある2つの「事実」
分析すると、「憂い」であるところの「不安」「恐怖心」「苦悩」などを消すのは、未来に予定があり続ける限り無理です。事実は事実として認知しておきましょう。
- 未来への「憂い」は過ぎるまで絶対に解消しない。
→ それを憂うのは消耗するだけ無駄なんだけど… - 過ぎれば必ず消える。
→ 憂いている時間があるなら対策すべしなんだけど…
で?どうなの
ひたすら対策:未来に不安を感じたり恐怖心を抱いたりして”憂う”状態は、それが過ぎるまで絶対消えないし、また、過ぎれば嘘のようにその”憂い”は必ず消えます。だから、未来を憂うのは無駄だし、憂う暇があったらひたすら対策――テスト勉強、受験勉強、プレゼンの練習などをすべきです。
ご褒美作戦:もし、もう時間が無い場合や、手術の前など自分側の対策ができないケースは、終わったら自分にあげる”ご褒美”を考えるのがベストでしょう。
座禅が得意な人:座禅してください。「座禅」とは、一般的な禅定系瞑想の座禅のことです。私の解釈では、「座禅」とは、無を目指し無我を主張する禅定に入る瞑想です。日本で伝統的仏教瞑想と言えば”これ”という座禅ですが、外より内へと向かう瞑想です。「不安で座禅できない」って人は座禅が得意とは言えません。その場合、ブッダの奥義「ヴィパッサナー瞑想」(マインドフルネス瞑想)をやりましょう。こちらは瞑想の種類が違います。誰でもできる”気付き系”の瞑想です。
ヴィパッサナー瞑想:ブッダの奥義「ヴィパッサナー瞑想」(マインドフルネス瞑想)とは、私の解釈では、緊急避難的につかう気付き続ける瞑想を言います。この時、摘要症状と効能を間違わないでください、間違わなければ有意義に使えます。症状例は分かりやすさのため極端に言えば、手が震えるほどの不安や、ちょっとした音で飛び上がるほどの病的状態になるなどです。このような時、これ以外でも必要な時は、落ち着くまでひたすら ”体感に気付き続ける” ヴィパッサナー瞑想をひたすら続けてください。やめればまた苦しい状態になります。そして、この瞑想では完治しません。あくまで、やっている間は苦しくないという緊急避難として割り切ってください。それが、ヴィパッサナー瞑想の注意事項です。
ヴィパッサナー瞑想:自らの意思で動かせる体のどこかしらをわざと動かし、その感覚に自ら気付くことで”今ここ”に脳を引き付けて自動思考を一時的に止める仏教瞑想。自前で動かし自前で気付き続けることで自動脳を強引に手動にするブッダの方法。たとえば、歩く足の裏の感覚・筋肉の感覚や、呼吸などで行われる。止めれば、自動脳がまた働き出しまた憂う。
止まらない「憂い(苦悩)」に対しヴィパッサナー瞑想を使うことについて、ブッダの出した答えとは「[憂いなどの]感情は自動思考で止まらないので、一瞬一瞬の”気付き”の「今ここ感覚」で五感入力を埋める以外阻止できない」というのがブッダの出した答えなのです。ですので、もちろんこの”気付き”をやめればまた不安や恐怖という憂いは襲ってきます。が、他に憂い(感情)を止める方法はないというのがブッダの見解なのです。この憂い(感情)が本当の意味で止まるのは長い修行後なので、今、止めるには「一瞬の気付き×気が済むまで」をやり続けるしか今のところ方法が無いのです。
方便:事実を知る
- 憂いの原因が時間的にまだ先の時 … 事前対策するのみ!
- 憂いの原因まで時間がない時 … 終わったら自分に与える「ご褒美」を考える!
- 憂いの原因に自分側で事前対策できない時 … やはり自分への「ご褒美」作戦!
- 病的状態になったら、緊急避難としての「ヴィパッサナー瞑想」を!
方便として使うのに大切なのは、不安や恐怖心などの憂い(苦悩)は基本止まらない。と知ること。知ると、知らない人より割り切って対策できる。「覚悟」が決まるのです。”覚り”と”悟り”両方入っていることに意味があるのかわかりませんが、「憂いは自動だから止まらない」と知るだけで足掻くことなく次の行動へスパッと移れる。この場合”次の行動”とは「対策する」「ご褒美を考える」「ヴィパッサナー瞑想する」などの行動です。
(初めて知ることは信じることと同じです)